P--1063 P--1064 P--1065 #1報恩講私記    報恩講私記 【1】  先総礼  稽首天人所恭敬  阿弥陀仙両足尊  在彼微妙安楽国  無量仏子衆囲繞(十二礼)   次三礼   次如来唄   次表白  敬ひて大恩教主釈迦如来、極楽能化弥陀善逝、称讃浄土三部妙典、八万十 二顕密聖教、観音勢至九品聖衆、念仏伝来の諸大師等、総じては仏眼所照微 塵刹土の現不現前の一切の三宝にまうしてまうさく、弟子四禅の線の端に、 P--1066 たまたま南浮人身の針を貫き、曠海の浪の上に、まれに西土(印度)仏教の査 に遇へり。ここに祖師聖人(親鸞)の化導によりて、法蔵因位の本誓を聴く、 歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。しかればすなはち報じても報ずべきは大悲の仏 恩、謝しても謝すべきは師長の遺徳なり。ゆゑに観音大士の頂上には本師弥 陀を安じ、大聖慈尊(弥勒)の宝冠には釈迦の舎利を戴きたまふ。たとひ万劫 を経とも一端をも報じがたし。しかじ、名願を念じてかの本懐に順ぜんには。 いま、三つの徳を揚げてまさに四輩を勧めんとす。 一つには真宗興行の徳を讃じ、 二つには本願相応の徳を嘆じ、 三つには滅後利益の徳を述す。 伏して乞ふ、三宝哀愍納受したまへ。 【2】 第一に真宗興行の徳を讃ずといふは、俗姓は後長岡丞相[内麿公の]末 孫、前の皇太后宮の大進有範の息男なり。幼稚の古、壮年の昔、耶嬢の家を出 でて、台嶺の窓に入りたまひしよりこのかた、慈鎮和尚をもつて師範として、 顕密両宗の教法を習学す。蘿洞の霞のうちに三諦一諦の妙理を窺ひ、草庵の P--1067 月の前に瑜伽瑜祇の観念を凝らす。とこしなへに明師に逢ひて大小の奥蔵を伝 へ、広く諸宗を試みて甚深の義理を究む。しかれども色塵・声塵、猿猴の情な ほ忙はしく、愛論・見論、痴膠の憶いよいよ堅し。断惑証理愚鈍の身成じがた く、速成覚位末代の機覃びがたし。よりて出離を仏陀に誂へ、知識を神道に祈 る。しかるあひだ宿因多幸にして、本朝念仏の元祖黒谷上人(源空)に謁したて まつりて出離の要道を問答す。授くるに浄土の一宗をもつてし、示すに念仏の 一行をもつてす。しかりしよりこのかた、聖道難行の門を閣きて浄土易行の 道に帰し、たちまちに自力の心を改めてひとへに他力の願に乗ず。自行化他、 道綽の遺誡を守り、専修専念、善導の古風に任す。見聞の道俗随喜を致し、遠 近の緇素みな発心す。ここに祖師(親鸞)、西土(印度)の教文をひろめんがた めにはるかに東関の斗藪を跂てたまふ。しばらく常州筑波山の北の辺に逗留 し、貴賤上下に対して末世相応の要法を示す。初めに疑謗をなすの輩、瓦礫・ 荊棘のごとくなりしかども、つひに改悔せしめしの族、稲・麻・竹・葦に同 じ。みな邪見を翻してことごとく正信を受け、ともに偏執を止めて還りて弟 子となる。おほよそ訓を受くるの徒衆当国に余り、縁を結ぶの親疎諸邦に満て P--1068 り。謗法・闡提の輩なりといへども、かの教化を聞くもの覚悟花鮮やかに、 愚痴放逸の類なりといへども、その諷諫を得るもの惑障雲霽る。たとへば木石 の縁を待ちて火を生じ、瓦礫の&M065811;を磨りて珠をなすがごとし。甚深の行願不可 思議なるものか。まさにいま念仏修行の要義まちまちなりといへども、他力真 宗の興行はすなはち今師(親鸞)の知識より起り、専修正行の繁昌はまた遺弟 の念力より成ず。流を酌んで本源を尋ぬるに、ひとへにこれ祖師(親鸞)の徳 なり。すべからく仏号を称して師恩を報ずべし。頌にいはく、  若非釈迦勧念仏  弥陀浄土何由見  心念香華遍供養  長時長劫報慈恩(般舟讃)    念仏  何期今日至宝国  実是娑婆本師力  若非本師知識勧 P--1069  弥陀浄土云何入(般舟讃)    南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊 【3】 第二に本願相応の徳を嘆ずといふは、念仏修行の人これ多しといへども、 専修専念の輩はなはだ稀なり、あるいは自性唯心に沈みて徒に浄土の真証を 貶め、あるいは定散の自心に迷ひてあたかも金剛の真信に闇し。しかるに祖師 聖人(親鸞)、至心信楽おのれを忘れてすみやかに無行不成の願海に帰し、憶 念称名精みありてとこしなへに不断無辺の光益に関る。身にその証理を彰 し、人かの奇特を看ること勝計すべからず。しかのみならず来問の貴賤に対し てもつぱら他力易往の要路を示し、面謁の道俗を誘へてひとへに善悪凡夫の生 因を明かす。ゆゑに善導大師のいはく(定善義)、「今時の有縁あひ勧めて、誓 ひて浄土に生ぜしむるは、すなはちこれ諸仏本願の意に称ふなり」と。また いはく(礼讃)、「大悲伝普化真成報仏恩」と。しかれば祖師聖人、金剛の信心 を発起して自身の生因を定得し、本願の名号を流行して衆機の往益を助成す。 あに本願相応の徳にあらずや、むしろ仏恩報尽の勤めにあらずや。またつねに 門徒に語りていはく、「信謗ともに因となりて同じく往生浄土の縁を成ず」 P--1070 と。誠なるかなやこの言、疑ふものもかならず信を執り、謗ずるものもつひに 情を翻す。まことにこれ仏意相応の化導、そもそもまた勝利広大の知識なり。 悪時悪世界の今、常没常流転の族、もし聖人の勧化を受けたてまつらずんば、 いかでか無上大利を悟らん。すでに一声称念の利剣を揮ひてたちまちに無明 果業の苦因を截り、かたじけなく三仏菩提の願船に乗じて、まさに涅槃常楽の 彼岸に到りなんとす。弥陀難思の本誓、釈迦慇懃の付属、仰がずんばあるべか らず。諸仏誠実の証明、祖師(親鸞)矜哀の引入、憑まずんばあるべからず。 これによりておのおの本願を持ち名号を唱へて、いよいよ二尊の悲懐に恊ひ、 仏恩を戴き師徳を荷なひて、ことに一心の懇念を呈すべし。頌にいはく、  世尊説法時将了  慇懃付属弥陀名  五濁増時多疑謗  道俗相嫌不用聞(法事讃・下)    念仏  万行之中為急要 P--1071  迅速無過浄土門  不但本師金口説  十方諸仏共伝証(五会法事讃)     南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊 【4】 第三に滅後の徳を述すといふは、釈尊、教網を三界に覆ふ。なほ末世苦 海の群類を済ひ、今師(親鸞)、法雨を四輩に灑ぎ、遠く常没濁乱の遺弟を湿 す。かの在世をいへばすなはち九十歳、顕宗・密教鑽仰せずといふことなし。 その行化を訪へばまた六十年、自利利他満足せずといふことなし。在家・出家 の四部群集すること盛んなる市に異ならず。大乗・小乗の三輩、帰伏するこ と風に靡く草のごとし。つひにすなはち花洛に還りて草庵を占めたまふ。しか るあひだ、去んじ弘長第二壬戌黄鐘二十八日、前念命終の業成を彰して後 念即生の素懐を遂げたまひき。ああ禅容隠れていづくにかます。給仕を数十 周紀の星に隔つ。遺訓絶えていくそばくのほどぞ。旧跡を一百余年の霜に慕 ふ。かの遺恩を重んずる門葉、その身命を軽んずる後昆、毎年を論ぜず遼絶を 遠しとせず、境関千里の雲を凌ぎて奥州より歩みを運び、隴道万程の日を送り P--1072 て諸国より群詣す。廟堂に跪きて涙を拭ひ、遺骨を拝して腸を断つ。入滅年 はるかなりといへども、往詣挙りていまだ絶えず。哀れなるかなや、恩顔は寂 滅の煙に化したまふといへども、真影を眼前に留めたまふ。悲しきかなや、徳 音は無常の風に隔たるといへども、実語を耳の底に貽す。撰び置きたまふとこ ろの書籍、万人これを披いて多く西方の真門に入り、弘通したまふところの教 行、遺弟これを勧めて広く片域の群萌を利す。おほよそその一流の繁昌はほと んど在世に超過せり。つらつら平生の化導を案じ、閑かに当時の得益を憶ふ に、祖師聖人(親鸞)は直人にましまさず、すなはちこれ権化の再誕なり。す でに弥陀如来の応現と称し、また曇鸞和尚の後身とも号す。みなこれ夢のうち に告げを得、幻の前に瑞を視しゆゑなり。いはんやみづから名のりて親鸞と のたまふ、測り知りぬ、曇鸞の化現なりといふことを。しかればすなはち聖 人、修習念仏のゆゑに、往生極楽のゆゑに、宿命通をもつて知恩報徳の志を 鑑み、方便力をもつて有縁・無縁の機を導きたまはん。願はくは師弟芳契の宿 因によりて、かならず最初引接の利益を垂れたまへ。よりておのおの他力に帰 して仏号を唱へよ。頌にいはく、 P--1073  身心毛吼皆得悟  菩薩聖衆皆充満  自化神通入彼会  憶本娑婆知識恩(般舟讃)    念仏  直入弥陀大会中  見仏荘厳無数億  三明六通皆具足  憶我閻浮同行人(法事讃・下)    南無帰命頂礼尊重讃嘆祖師聖霊    南無帰命頂礼大慈大悲釈迦善逝    南無帰命頂礼極楽能化弥陀如来    南無帰命頂礼六方証誠恒沙世界    南無帰命頂礼三国伝灯諸大師等    南無自他法界平等利益 P--1074    次 六種回向等